青木康時のすごい経歴まとめ!5つの会社での活躍を一挙紹介!

青木康時 経歴

YouTuberのヒカルさん、格闘家の朝倉未来さんによるYouTube番組「Nontitle~この1000万あなたならどう使う?~」にチーフメンターとして出演している青木康時さん。

6人に数々の試練を与える役割として参加していますが、青木康時さんはどういった人なのか、気になりますよね。

そこで今回は、

「青木康時さんって何者?」

「青木康時さんの経歴は?」

という点についてピックアップしていきます。

青木康時さんとは

青木康時

青木康時さんは連続起業家であり、現在は株式会社サムライパートナーズにのプロモーション事業本部長です。

1977年生まれ、岐阜県出身。

「Nontitle」ではチーフメンターとして参加しています。

連続起業家として数々の会社を立ち上げ、年商数十億にまで成長させてきました。

青木康時さんの経歴①大学・俳優時代

青木康時さんは、実家が商売をやっていた事もあり、自分で商売をやりたいという思いを持っていて、愛知大学経営学部に進学します。

学生時代はかなり勉強をしていたそうですが、ある時東京に遊びに来て、そこで芸能人と出会います。

「やっぱり東京すげえな」「友達の友達が普通に芸能人なんだ」

と舞い上がって遊んでいた青木康時さんですが、「お前もやってみないか」と誘われたそうです。

青木康時さんは、勘当同然の形で上京、俳優や音楽活動など、様々な経験を積みました。

5年間、厳しい下積みを経験した青木康時さんですが、そんな生活が続き、枯渇感を味わうようになっていきます。

青木康時さんの経歴②プレミアムウォーターホールディングス

枯渇感を味わっている、そんな時に青木康時さんが見つけたのは、営業のアルバイトでした。

青木康時さんは営業のアルバイトに全力でコミットし、営業の経験を積み、実力を付けていきます。

そしてある時、仲間とインセンティブの額を見たら、上司(代理店)を抜いている事に気付きます。

携帯電話・通信機器の営業代行を手掛ける会社を設立

実力を付けた青木康時さんは、2004年2月、26歳の時に6人の同志と共に、携帯電話・通信機器の営業代行を手掛ける会社(現プレミアムウォーターホールディングス)を設立しました。

青木康時さんは毎日毎日、色んな店先で営業活動を地道にしていきました。

創業メンバーとして活躍した青木康時さん、なんと5年で年商50億円を達成します。

フルコミットの不安に気付く

会社は確実に成長していましたが、青木康時さんは不安要素に気付きます。

集団インフルエンザなどの理由で、社員全員が稼働できなくなったら、会社が潰れるのではないか、と。

そこで今日の努力が将来につながる、ストックビジネスのモデルを考える必要性に気付きました。

ウォーターサーバービジネスに出会う

そんな時、青木康時さんはウォーターサーバービジネスに出会います。

ウォーターサーバービジネスは、携帯電話と通信料の関係に非情に近いモデルでした。

携帯電話端末ではなく、通信料で稼ぐのと同じく、ウォーターサーバーではなく水で稼ぐモデルです。

そこで青木康時さんは、携帯電話からウォーターサーバービジネスに方向転換し、会社の成長に貢献しました。

今でこそ、あちこちで見るようになったウォーターサーバーの試飲会ですが、実は日本で最初に試飲会をしたのは、青木康時さんだったのです。

青木康時さんの経歴③ウォーターダイレクト

2008年9月、青木康時さんは当時の取引先で、ウォーターサーバー事業を行うウォーターダイレクトに出向転籍します。

青木康時さんは営業部長として直販部隊を立ち上げ、約3年で年商30億円を達成します。

青木康時さんの経歴④Frecious

2010年4、青木康時さんはウォーターダイレクトと同じくウォーターサーバー事業を行う、Frecious(現在の『富士山の銘水株式会社』)を設立し、代表取締役に就任しました。

Freciousはウォーターサーバー事業で11万人の顧客を獲得し、創業2年でグループ年商を40億円まで拡大します。

日本の天然水宅配事業の拡大期を創り上げました。

青木康時さんの経歴⑤アクティブソナー

水に関する会社3社を大きくした青木康時さんですが、インターネット全盛の時代に、実業だけやっていていいのか、という気持ちを持っていました。

それはコンプレックスに近いものだったようです。

「全部飛び出してインターネットカンパニーを作りたい」と思った青木康時さんは、会社の株の持ち分を全て処分。

2012年11月、青木康時さん32歳の時に、イーコマース事業を行う株式会社アクティブソナー(現株式会社RECLO)を設立し、代表取締役に就任しました。

フリマで偽物を掴まされる

青木康時さんは、新しい事業を始めようと思い、ファッションとスマホで何かをしたいと考えました。

フリマサイトやフリマアプリが一気に増えた時期に、青木康時さんは一通りの事を調べ、試しに自分で大手サービスを使ってみました。

その時の取引で、青木康時さんは残念な事に、ニセモノのヴィトンのキーケースを掴まされてしまいました。

さらに事務局にどうしたらいいか問い合わせた所、「CtoCなので、そういった事はご本人同士で」と突き放されてしまいます。

この経験から、青木康時さんは便利になる世の中のリスクと、安心・安全が付いてこない事の怖さを感じました。

そこで青木康時さんは、自分達が間に鑑定を入れて、安全を担保するサービスを提供すればいいと思いつきます。

ブランド中古品買取・委託販売サービス『RECLO(リクロ)』

青木康時さんは、数十億の資金を調達し、ハイブランド専門のリセールプラットフォーム『RECLO(リクロ)』を開始、展開していきます。

RECLOはブランド品を売りたい人と買いたい人の間に立ち、査定や手続きなどを代行するサービスでした。

世の中のニーズを汲み取ったRECLOは、会社の売上に貢献していきます。

ビジネスは成長し、グローバルに展開され、会社の売上も数十~数百億というサービスになりました。

中国企業とのトラブル

青木康時さんは上海にも支社を置き、中国のアリババとも提携し、会社の売上の半分以上が中国での売上となり、会社は急成長していきました。

そうして7~8年かけてやってきたRECLOは順調のように見えましたが、徐々に先行きが怪しくなってきます。

というのも、中国企業との間にトラブルが発生したり、ある日突然音信不通になったりして、順調とは言えない状況になってきたからです。

順調に成長していくRECLOを、上場させようと思っていた青木康時さんでしたが、上場ではなくM&Aをしなければいけない局面になってしまいます。

RECLO売却

2020年、青木康時さんはRECLOを売却。

結果としてRECLOはその後も成長した事もあり、後に青木康時さん「今思うと結果的には良かったと思う」と話します。

個人の気持ちで頑張り続けるよりも、会社と従業員の成長を優先した結果でした。

青木康時さんの経歴⑥サムライパートナーズ

RECLOのバイアウト後、青木康時さんには様々な所からオファーがかかり、選択肢が30個くらいあったそうです。

しかし7、8年と同じ所で仕事を続けていた事もあり、その当時、青木康時さんは何をやりたいのか、分かりませんでした。

次はこれをやれば当たる、という自信や確信を持てなかったというのもあったそうです。

その為、青木康時さんは、様々なものを見れるマーケット環境に一回身を置いた方が良いと判断しました。

インフルエンサーの破壊力

そんな時、インフルエンサーという存在に興味を持った青木康時さん。

優秀なマーケターは緻密な計画を立ててマーケティングしますが、それを容易く超える訴求力に興味を持ちます。

そんな事もあって青木康時さんは、株式会社サムライパートナーズにて、プロモーション事業本部長を務める事になりました。

まとめ

今回は連続起業家であり、サムライパートナーズの事業本部長である青木康時さんの経歴についてピックアップしました。

この経歴を知った上で「Nontitle」のチーフメンターとしての青木康時さんの言葉を聞くと、重みが違ってきますよ。

様々な会社を立ち上げて成長させた青木康時さん。

これからの活躍を期待しています。

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