定食酒場食堂の天野雅博の経歴が凄まじい!お店の情報も紹介

天野雅博 お店情報

2022年5月17日、新番組の『DEEPな店の常連さんに密着 イキスギさんについてった』で定食酒場食堂というお店が紹介されます。

定食酒場食堂の店主は天野雅博さんという方ですが、この方は凄まじい経歴を持っていました。

今回は、

「天野雅博さんはどんな経歴を持っているの?」

「天野雅博さんの経営しているお店は?」

といった点をピックアップしていきます。

天野雅博さんとは

天野雅博

天野雅博さんは、定食酒場食堂の店主です。

ご自身では職業を『夢追い人 (作家、作詞家、作曲家)』とされています。

1967年10月8日生まれ、北海道静内出身。

趣味は年間5~10回の海外旅行と、バーの飲み歩き、ドライブ、そして車だそうです。

『イキスギさん』では『3000人率いた暴走族の元総長』と言われています。

天野雅博さんの経歴

天野雅博さんの経歴は以下のようになっています。

・幼少期は養護施設で育つ。

暴走族の総長になり少年院を3度経験後、少年刑務所へ

リサイクルブティックを経営

酸素事業・酸素バーを展開して、酸素ブームを巻き起こす。

独立起業家支援を始めとして、2年間で47社のオーナーに。

居酒屋チェーンを全国展開

定食酒場食道を経営

とても濃い経歴をお持ちですね。

その詳細を解説していきます。

幼少期を養護施設で過ごす

天野雅博さんは北海道静内町(現在の新ひだか町)で生まれました。

天野雅博さんは両親から認知されなかった為、幼少期を養護施設で過ごされました。

とても荒れていた天野雅博さんは、14歳で暴走族の総長に就任、2年後には1000人の暴走族を束ねるようにまでなりました。

そして3度、少年院を経験し、18歳の時には相手を傷つけてしまい、松本少年刑務所に入所します。

リサイクルブティックの経営

松本少年刑務所を出所した天野雅博さんは、横浜市でリサイクルブティックの経営を始めます。

持ち前のリーダーシップを発揮し、事業を拡大していきました。

店舗は7店舗にまで増やすという、大成功を収めたそうです。

酸素事業を展開

天野雅博さんは31歳の時、アメリカ訪問時にヒントを得て、酸素事業のアイデアを着想します。

都内に酸素バーをオープンし、後の酸素ブームを仕掛ける事となりました。

しかし33歳の時、常に新しい事にチャレンジしたいという気持ちから、酸素事業を売却されます。

天野雅博さん曰く、「アイデアが次から次に溢れてくるんです」だそうです。

とてもクリエイティブな方ですよね。

独立起業家支援

酸素事業の売却後、天野雅博さんは独立起業家支援を始め、なんと2年間で47社のオーナーとなります。

その時、プライベートジェット機3機、ヘリ17機を保有する会社を運営するまでになっていました。

また、世界的カジノビジネスプランナーとしても活動していました。

居酒屋チェーンと定食酒場食道

2009年末、天野雅博さんは、居酒『革命』を東京・板橋区にオープンさせます。

無料焼酎をうたい、瞬く間に全国にチェーン展開。

1年間で20店舗も展開する程でした。

そして現在では、定食酒場食道を経営しています。

天野雅博さんが店主の定食酒場食堂について

天野雅博さんが経営している定食酒場食堂は、東京都新宿区にあります。

〒160-0001 東京都新宿区片町4丁目10

日替わりランチで、定食が288円という格安になっています。

天野雅博さんの想い

「(288円食堂が)無くなったら困る、そういう話は何度も聞きました。そういう人たちの食べる場所を無くしちゃいけない」

天野雅博さんは言っており、店内には『当店はお腹いっぱいにならないとお帰り出来ません』という張り紙が張ってあります。

お腹を空かせている人に、安く、沢山食べさせてあげたい、という想いがあるのでしょうね。

まとめ

今回は天野雅博さんの経歴と、経営している定食酒場食堂についてピックアップしました。

今でこそ食堂の経営をしている方ですが、実は凄まじい経歴の持ち主でした。

これからも色々なアイデアを、世の中に送り出していかれるのでは、ないでしょうか。

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